小6で観たアテネオリンピックでの華々しい勇姿に憧れた飛び込んだ高レベルの環境に心が折れそうになる世界との距離を知りレスリング漬けの日々にです。レスリング選手だった父が兄を地元(富山県高岡市)のレスリングクラブに連れて行ったときに、私もついていきました。ウォーミングアップのマット運動でみんながバク転とかをしている姿を見て、おもしろそうだなと思ったのがきっかけです。最初はマットの上での遊びの延長線上みたいな感じでした。その頃は体重が選手が全然いなかったんです。初めて全国大会に出たときに、1回勝ったら全国3位っていうぐらい少なかったんですよ。でもそこで負けてしまってすごく悔しくて、全国大会で優勝したいっていう思いでレスリングに取り組むようになりました。すね。リンピックで初めて女子レスリングの試合をテレビで観ました。吉田沙保里さん*1の試合を見て、こんなに攻める強い選手になりたいと思ったのを覚えています。その後も沙保里さんや浜口京子さん*2がTV番組に出ているのを観て凄いなと。その影響は大きかったですね。それで中学生でもレスリングを続けたんですけど、高校進学が大きな節目になりました。本格的に取り組むにはやはり県内じゃ難しいからと、親元を離れて愛知の至学館高校に進学を決めました。ただ、子供の頃から父親にずっと「レスリン 3学時代は大変でしたけど中学校に教育実習にグだけで生きていけると思うな。勉強も頑張れ」って言われていたんですよ。レスリング部は至学館高校から至学館大学に進学する選手が多く、大学では教員免許が取れるということも至学館に決めた理由になりました。実際、大も行って、教員免許を取得しました。登坂絵莉さん(以下登坂) 小学3年生のとき登坂 —— レスリングとの出会いはいつ頃ですか?——女子レスリングに注目が集まりだした頃でちょうど小学6年生のときに、アテネオ登坂 登坂 登坂 ——至学館高校は、女子レスリングの名門です。——その心を繋ぎ止めたモチベーションは何だっ——それで全国高校女子選手権で2連覇でき最初は沙保里さんや伊調馨さん*3のような素晴らしい先輩と同じ道をたどって、オリンピックに行けるぐらいの気持ちで入学しました。ですが、ここのチームは高校生だけじゃなく、大学生や卒業した先輩方も一緒に練習するんです。この前まで中学生だった私とすでにオリンピックを連覇している沙保里さんが同じ練習を毎日する環境で、あまりの実力差に入学してすぐに心が折れた記憶があります。実力のなさにすごい虚無感を感じて、何か暗いトンネルを走っているような感じで目標がなく、ただ毎日を過ごしていた時期もありました。たのでしょう?親元を離れた生活で、親は私が愛知県で頑張っているって思っているし、その思いに嘘をつくのは嫌だったんです。すぐに結果を出すのは無理だけど、まずは自分自身が成長するというところに一旦思考を変えてみると、少しずつ頑張れるようになりました。例えば、いつもだったら10対0で負けるけどまずは1点取れるように頑張ってみようとか、ランニングのタイムが3分かかっていたのをまずは2分50秒にしてみようとか、少しずつ少しずつ、そういう細かい目標設定に発想を変えました。階級を変えて結果が少しでも出るようになってきたらまたちょっとおもしろくなって、次はこの試合で勝てるように頑張ってみようとか、自分自身の成長に目を向けるように考え方を変えました。今振り返ると、本当に自分にとっては最高の環境だったと思います。常に世界というのが当たり前のチームで、高校生の頃から世界というものを間近で見ることもできましたし、刺激してくれる先輩後輩が高い意識で練習をやっている中に入れたというのは、貴重な体験でした。るようになったんですね。選手層の薄い階級を選んだので勝てたということもあります。当時は私がオリンピックに行くだろうと思っていた人は、多分一人もいなかったんじゃないかと思います。実際、高2生の頃に、高校でレスリングはやめて卒業後は富山に帰ろうと一度は決めていました。ただ、それを知った父親から、「進路は、絵莉の好きなようにしてください。それでは怪我に注意して、毎日誰よりも努力して、絵莉が一番になれる日を願っています」というすごく矛盾したメールが届いたんですよ(笑)。それで中学までの父親と頑張った日々がフラッシュバックしてきて、もうちょっとだけ頑張ってみようかなと大学に進学してレスリングを続けることを決めました。大きな変化があったのは大学1年生のときで、初めて世界選手権に出たんです。正直、まだ出られる実力はなかったんですけど、全日本の1番手2番手の選手が予選に出なかったおかげで運良く全日本で優勝できて、世界選手権でもトーナメントの組み合わせに恵まれて決勝まで行けたんです。決勝では大接戦でしたがラスト数秒で逆転負けで2位に終わったんですけど、初めて世界と自分の距離というのがわかりました。なんとなく世界に行きたいなぐらいの気持ちから、何が何でもオリンピックに出たいし絶対世界チャンピオンになるという気持ちに変わりました。ピントがバチッと合って射程距離に入った感覚みたいなのがあって、そこからはもうレスリングだけっていう生活に変えました。したことがあります。そこからは誰よりも練習するようになりましたし、ほぼレスリングのことしか考えなくなりました。誰よりも小さかったですし、力もなかったですし、センスがあるようなタイプでもありませんでした。そういった意味ではもう練習するしかなかったんです。世界一のチームでみんなそれぞれ頑張っている中で、みんなと同じことをしていても実力は詰められません。驚くこ登坂 登坂 ——当時、ものすごく練習していたとお聞きとに私、大学に私服で行ったことが一回しかないんです(笑)。あとは全部練習着です。週に一回、練習オフの日があって、その日はみんな私服で大学に行ってそのあと遊びに行ったんですけど、私は一回しか私服で行った記憶がないんですよ。それくらいレスリング漬けの毎日でした。で決めたルールのようなものはありましたか?練習でも一つひとつ手を抜かないことですね。腕立て伏せ50回と言われたら、早く終わらせたいから30度ぐらいしか曲げずにやる人もいると思うんですけど、時間はかかるけどしっかり90度まで曲げて床に顎をつけて50回やり切るとか。練習の目的をしっかり理解した上で、細かいところまで意識を持って丁寧にすることは大切にしていました。あと子供の頃から意識していたのは、試合に負けたら絶対にその日のうちに自分ができていなかった部分を見直して、それを補うトレーニングをしてから寝るようにしていました。負けた瞬間から次の戦いは始まるので、一日休んでから頑張ろうではなくて、そういう熱い悔しい気持ちを持っているその日から次に向けてスタートしていました。性格なんでしょうけど、勉強でも同じでした。問題集とか解いて丸付けして駄目だったら、私はその問題を何で間違えたのかというのを理解して、もう1回解かないと納得できないんですよ。そういうところは、レスリングも勉強も共通していると思います。の世界選手権3連覇と実を結んだのですね。とはいえ、国内を勝ち抜いて日本代表になるのが本当に大変でした。世界選手権はもう自分をすべて解放してやるだけっていうような気持ちでやれるんですけど、国内は本当にしんどかったです。進学せずに実業団チームに所属しても、そのまま至学館のチームで練習できるのですが、大学の時間に合わせて練習は朝と夕方からで、昼間の時間が空くんです。その時間がもったいないし、競技のプラスになることもあると思って登坂 登坂 登坂 —— レスリング中心の生活の中で、ご自身の中——そういった練習への取組みが、大学在学中—— 3連覇後に大学院に進学されていますね。20㎏ぐらいしかないほど小さくて、同じ階級の
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